2020年5月16日土曜日

はじめに  美しい日本語とは(1)



美しい日本語とは、「わかりやすい」「読みやすい」「無駄がない」文章のことである。

  あなたは、日本語の文章を書くことに自信を持っていますか。自分の書いた文章に誇りを持っていますか。残念ながら、「はい」と即答できる方は少ないだろうと思います。昨今、情報技術の発展によって文章を書く機会が激減しているからです。

電子メールやSNSが登場したことで、私たちは滅多に手紙を書かなくなりました。瞬時に、多数の相手に情報を伝達できるのですから、手紙よりも格段に便利です。入力の手間を省いたり、気持ちを直接的に表現するために、絵文字やスタンプなど新しい文化も生まれました。その一方で文章は貧弱になる一方です。「9時に駅で。よろ!」これが日本語であることは認めますが、お世辞にも文とは言えませんよね。

コンピュータを使って文書を作成するのがあたりまえになり、過去の文書やWebサイトから自在にコピー、再利用ができるようになりました。他人の論文をそのまま切り貼りして投稿していた、というお騒がせな事件もありました。せめて自分なりの文章に書き直してほしいものです。

文章を書く機会が減っているなかで、効率よく文章作成力を磨いていただこうというのがこのブログの目的です。美しい日本語を書くためのテクニックが満載です。そして、対象としているのはあらゆる文書です。学生のみなさんにとっての、作文、小論文、就職活動時のエントリーシート、ビジネスマンのみなさんにとっての報告書、提案書、電子メールなどなど。

さて、このブログを読み始めて「日本語の書き方の解説が横書きでいいのか」と疑問を感じられた方へ。あなたは日常生活やビジネスで、縦書きの文章を書くことがありますか。まず、ありませんよね。特に、ビジネスとなれば文章は100%横書きです。にもかかわらず、書籍、雑誌、新聞などほとんどの出版物が縦書きなのは不思議なことです。このブログは、当然、横書きです。
では、美しい文とは、美しい日本語とはどのようなものでしょうか。このブログでは、「わかりやすい」「読みやすい」「無駄がない」文を「美しい」と定義します。この定義だけではイメージが湧かないでしょう。まずは、美しい日本語とは何かを理解していただくために、過去の著名な小説の一節を例にとって話を進めていくことにします。

川端康成著 「雪国」の冒頭

    国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
② 夜の底が白くなった。
③ 信号所に汽車が止まった。
④ 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。
⑤ 雪の冷気が流れこんだ。
  
大江健三郎著 「万延元年のフットボール」の冒頭

① 夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。
② 内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に体の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。

いずれも日本を代表する作家、ノーベル文学賞受賞者の作品で、質の高い日本語です。まねしてみたくなりますね。しかし、このブログで対象としている文章は、詩や小説ではありません。芸術性みたいなことは意識していません。日常生活やビジネスで使用するごくごく一般的な文章を対象としています。そこでは、個性は必要ないのです。誰でも、苦労せずあたりまえに書けるものでなければなりません。作者にはたいへん失礼なことではありますが、両作品の文章を拝借し、少々手を加えさせてもらいましょう。

まずは雪国です。

(A)島村の乗った上越線下りの汽車は、谷川岳中腹を貫く清水トンネルを抜けた。
(B)日本海側の地には雪が降り積もり、
     夜の闇のなかにもかかわらず地面が白く輝いていた。
(C)単線での擦れ違いのために、信号所に汽車が止まった。
(D)すると、向側の座席に座っていた少女が立ち上がって近づいてきた。
(E)そして、少女は島村の前のガラス窓を勢いよく開けた。
(F)暖房の効いた車内に、外の冷たい空気が流れ込んだ。

これが、美しい日本語の例です。原文と何が違うのか。何のために、どこを変更・加筆したのか。一つひとつの文を詳しく見てみましょう。

① 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
原文では、主語が省略されています。「トンネルを抜ける」という記述から、主語が「主人公が乗った汽車」であることは容易に想像がつくからです。トンネルがどこにあるのかも明示されていません。「国境」、「抜けると雪国」という記述から、太平洋側と日本海側を分け隔てる山脈を貫くトンネルであることがわかるでしょ、という理屈です。文学作品を読み解くには教養が必要です。一方、美しい日本語では、読み手に想像させたり、一般的でない知識を要求してはいけません。できる限り、事実を正確かつ具体的に記述します。したがって、主語を補うとともに、トンネルについての説明も必要です。なお、「雪国であった」という原文の記述は、加筆例では(B)の文に含めています。
(A)島村の乗った上越線下りの汽車は、谷川岳中腹を貫く清水トンネルを抜けた。

② 夜の底が白くなった。
さて、原文は含蓄があり難解です。「夜の底」とは何を指しているのか。読み手が想像するしかありません。場所は山のなかです。どこまでも漆黒の闇が続いています。汽車の窓から漏れるわずかな明かりが辺りを照らし、闇の中で降り積もった雪が白く光っています。私はそんな光景を想像しました。具体的に記述したのが(B)の文です。
(B)日本海側の地には雪が降り積もり、
     夜の闇のなかにもかかわらず地面が白く輝いていた。


③ 信号所に汽車が止まった。
原文のままでもよいのですが、現在の信号は自動化されていますので、信号所とは何かを知らない読み手が多いと考えられます。そこで加筆例では、汽車が止まった目的を記述しました。
(C)単線での擦れ違いのために、信号所に汽車が止まった。

④ 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。
⑤ 雪の冷気が流れこんだ。
④と⑤の文をセットとして見ていきます。ここでは、ガラス窓を落としたという表現が肝になります。最近の列車は、特急だけでなく通勤用も含めて空調が完備され、窓の開かない車両が主流です。雪国が書かれた時代は、もちろん列車に冷房設備などありませんでしたので、窓を開けることができました。その開け方ですが、窓の上部にフックがあって、それを外すという仕組みでした。窓は自らの重さで下に向かって開きますので、手を添えていないと、まさしく「落とす」という表現がぴったりで、ドスンと勢いよく、かつ大きく窓が開くのです。

これを知っていると、落とした窓から、外の冷たい空気がどっと流れ込んできた。せっかく暖房が効いているのに大きく窓を開けるなんて、少女は何をしようとしているのだろう。という具合に、想像が広がっていきます。加筆例では、こうした昔の車両に関する知識を前提としないでも場景を思い浮かべられるように言葉を書き加えました。
さらに、加筆例では「すると」と「そして」という接続詞を用いて、文を二つに分けました。原文は、非常に短い文が繰り返されて、心地よいリズム感があります。それゆえ、文と文とのつながりをよくするための接続詞は必要としていません。むしろ、接続詞をつけるとリズム感が失われてしまいます。試してみましょう。

<失敗例1>
信号所に汽車が止まった。すると、向側の座席から娘が立って来た。そして、島村の前のガラス窓を落した。
明らかに文章の質が落ちてしまったことがわかります。では、逆に加筆例の接続詞を抜いてみます。

<失敗例2>
単線での擦れ違いのために、信号所に汽車が止まった。向側の座席に座っていた少女が立ち上がって近づいてきて、島村の前のガラス窓を勢いよく開けた。
何やら静止画のような文章になってしまいました。接続詞を入れることによって、「汽車が止まった」「少女が立ち上がって近づいてきた」「窓を開けた」という三つの出来事の間に「間(ま)」を作ることができています。
(C)すると、向側の座席に座っていた少女が立ち上がって近づいてきた。
(D)そして、少女は島村の前のガラス窓を勢いよく開けた。
(E)暖房の効いた車内に、外の冷たい空気が流れ込んだ。

 それでは、もう一度原文と加筆例の全体を読み比べてみてください。

<原文>
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。

<加筆例>
島村の乗った上越線下りの汽車は、谷川岳中腹を貫く清水トンネルを抜けた。日本海側の地には雪が降り積もり、夜の闇のなかにもかかわらず地面が白く輝いていた。単線での擦れ違いのために、信号所に汽車が止まった。すると、向側の座席に座っていた少女が立ち上がって近づいてきた。そして、少女は島村の前のガラス窓を勢いよく開けた。暖房の効いた車内に、外の冷たい空気が流れ込んだ。

原文の特徴
×「むずかしい」:読み手に知識がないと、場景を理解できない。難解な表現がある。
○「読みやすい」:短文の連続でリズム感がある。
○「無駄がない」:徹底的に削ぎ落とされた記述で、文章に無駄がない。
○「おもしろい」:行間から読み手の想像力が掻き立てられる。
加筆例の特徴
○「わかりやすい」:時代背景の知識や地理勘がなくても、場景を理解できる。
○「読みやすい」:一つひとつの文が、長すぎず、短すぎず、かつ文と文のつながりも良い。
○「無駄がない」:事実を正確に伝えており、余分な記述や重複がない。
×「つまらない」:必要なことがらが全て記述されていて、行間がない。想像力を働かせる場がない。
美しい文・美しい日本語は、「おもしろさ」を追求するものではありません。「わかりやすい」「読みやすい」「無駄がない」文をめざします。ご理解いただけたでしょうか。

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