2020年5月17日日曜日

はじめに  美しい日本語とは(2)


 次は「万延元年のフットボール」です。大江健三郎さんの文章は難解なことで知られています。そのなかでは、当作品は読みやすい方と言われていますが、それでもかなりの難物です。一つひとつの文は長めで、川端康成さんの文とは対称的です。どのようにすれば、文意を変えずにわかりやすく、読みやすくなるか、ご覧ください。

① 夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。
原文は、三つの読点で区切られた言葉が波のように流れています。素晴らしい構成です。しかし、このブログで定義した美しさという観点からみると課題があります。それこそ、「感覚」的に場景を思い浮かべることはできても、具体的な状況説明にはなっていないからです。紐解いていきましょう。

まず、主語「私」を補います。次に動詞ごとに文を区切ります。文中の動詞は、「眼ざめる」「もとめる」「残る」「手さぐりする」の四つです。
原文が過去の事実にもかかわらず、動詞が現在形で書かれていることにも着目してください。これは臨場感を盛り上げるための手法です。(第2章で解説)加筆例では過去形で記述することにします。
(ア)私は夜明けまえの暗闇に眼ざめた。
(イ)私は熱い「期待」の感覚をもとめた。
(ウ)辛い夢の気分が残っていた。
(エ)私は意識を手さぐりした。
では、この四つの文をどのように並べ、組み合わせるかを考えましょう。(ア)(イ)(ウ)の文は単独でも意味を成しますが、(エ)の文は「何のために」がないと意味が通じないですね。(エ)の目的を表しているのは(イ)の文ですから、この二つの文を組み合わせて(ア)、(ウ)、(イ)+(エ)の順番で並べます。

<途中経過1>
私は夜明けまえの暗闇に眼ざめた。辛い夢の気分が残っていた。私は熱い「期待」の感覚をもとめて、意識を手さぐりした。

これで骨格ができあがりました。さらに個々の文をみていきます。「夜明けまえの暗闇に眼ざめた」という表現は一般的ではありません。眼がさめたのは、まだ暗闇の夜明けまえだったという意味ですね。
(ⅰ) 私が眼ざめたのは、まだ暗闇の夜明けまえだった。
(ⅱ) 私が眼ざめたのは、夜明けまえの暗闇の中だった。
こんな感じでしょうか。(ⅰ)は、眼ざめた時間(夜明けまえ)を中心に据えた記述です。一方(ⅱ)は、目覚めた瞬間の状況(暗闇)が中心です。どちらが適切でしょう。「意識を手探りする」という部分をみれば、暗闇のなかでという状況が重要な背景となっていることがわかります。そこで(ⅱ)案を選択します。次です。「辛い夢」とは、眼ざめる前に見ていた夢のことですね。「先程まで見ていた」という説明を加えておくことにしましょう。最後は、「意識を手さぐりした」というところです。誰の意識かといえば自分の意識ですので、「自らの」を加えます。全体を再構成すると、

<途中経過2>
私が眼ざめたのは、夜明けまえの暗闇の中だった。先程まで見ていた辛い夢の気分が残っていた。私は熱い「期待」の感覚をもとめて、自らの意識を手さぐりした。

これで加筆例完成としたいのですが、まだひっかかるところが二つあります。一つ目は漢字の使い方です。原文の「夜明けまえ」、「眼ざめながら」、「感覚をもとめて」、「手さぐりする」で、作者は何を目的にひらがなを用いたのでしょう。詳細は第2章で解説しますが、ひらがなを使うことによって文の柔らかみが増しますので、そうした効果を狙っていると考えられます。作者にならって、加筆文の「暗闇の中」を「暗闇のなか」、「見ていた」を「みていた」に変更します。

<途中経過3>
(A)私が眼ざめたのは、夜明けまえの暗闇のなかだった。
(B)先程までみていた辛い夢の気分が残っている。
(C)私は熱い「期待」の感覚をもとめて、自らの意識を手さぐりした。

② 内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に体の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。
さあ、長い文です。これはかなりの難物です。①で適用した動詞で文を区切っていく方法は、この文ではうまくいきません。①は複数の主語と述語が直列につながっていましたが、②は入れ子構造になって複雑に絡み合っているからです。そこで別の方法をとります。この、入れ子構造を分析するのです。

文は大きく二つの部分に分けられます。「手さぐり」の前と後ろです。文の本体は、「手さぐりは、いつまでもむなしいままだ」で、それより前は全て「手さぐり」がどんなものかを説明しているのです。これを図に表すと図1のようになります。便宜上、文の本体を後半部、それ以前を前半部とします。




ここで、「おちつかぬ気持ち」が前半部、後半部の二か所に出てきているのが気になります。「おちつかぬ気持ちで望んでいる」のか、それとも「おちつかぬ気持ちで手さぐりしている」のか、どちらでしょう。どちらと解することもできますが、自然な日本語としては、心の動きを表す「おちつかぬ気持ち」と「望んでいる」の組み合わせは重複していて違和感があります。「おちつかぬ気持ちで手さぐりしている」と解釈することにします。

 それでは、文の再構成を開始します。まず、前半部からです。ここでは、「内臓を」から「存在感のように」までが、「熱い期待」の説明になっています。この説明部分がそれなりの長さですので、別の文に分けることにします。その際、前に出ていた説明部分を後ろにまわします。

 さらに、嚥下という言葉は医学用語とまではいわないまでも一般的に使用されるものではありませんので、同義の「飲み下す」に変更します。また、「熱い期待」の説明部分の文末を「持っている」にすると、断定してしまうことになりますが、実際には望んでいるだけで未経験のことですから、「持っているはずだ」という表現にします。

<途中経過4>
私は熱い「期待」の感覚が、確実に体の内奥に回復してきていることを望んだ。それは、飲み下せば内臓を燃えあがらせるウイスキーのような存在感を持っているはずだ。

後半部です。「おちつかぬ気持ちでの手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。」さて、何を手探りしていたのかといえば、熱い期待の感覚ですね。加筆の結果、「手さぐり」と「熱い期待の感覚」という言葉の間の距離が長くなって、イメージしづらくなってしまいました。主語の「私」と併せて、「その感覚を」という言葉を補っておきましょう。

<途中経過5>
私はおちつかぬ気持ちでその感覚を手さぐりしたが、いつまでもむなしいままだった。
ゴールが近づいてきました。個々の文への加筆が終わったので全体を見てみましょう。

<途中経過6>
(A)私が眼ざめたのは、夜明けまえの暗闇のなかだった。
(B)先程までみていた辛い夢の気分が残っている。
(C)私は熱い「期待」の感覚をもとめて、自らの意識を手さぐりした。
(D)私は熱い「期待」の感覚が、確実に体の内奥に回復してきていることを望んだ。
(E)それは、飲み下せば内臓を燃えあがらせるウイスキーのような存在感を持っているはずだ。
(F)私はおちつかぬ気持ちでその感覚を手さぐりしたが、いつまでもむなしいままだった。
問題個所がありました。(C)と(D)の文に着目してください。文頭がともに「私は熱い期待の感覚」です。連続する二つの文でこのような状況が発生していれば、後ろの文ではその部分を省略するのがセオリーです。

これで完成としても良いのですが、私の趣味として、あと二か所修正を加えたいと思います。一つ目の修正箇所は冒頭の(A)です。二つに区切り、「私は眼ざめた」「夜明けまえの暗闇のなかだった」にしたいと思います。理由その一。文の長さがだんだんに長くなる構成となり、リズム感が出てきます。理由その二。唐突に眼ざめた。眼を開くとまだ暗闇のなかだった。という臨場感が出てきます。二つ目の修正点は、(F)の文です。「いつまでも」「ままだ」という表現は、対象となる行為が継続していることを表しています。それに対応して、「手さぐりをし続けたが」という表現を取り入れたいと思います。さて、その結果は。原文も再掲しますので読み比べてください。

<原文>
夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に体の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。

<加筆例>
私は眼ざめた。夜明けまえの暗闇のなかだった。先程までみていた辛い夢の気分が残っている。私は熱い「期待」の感覚をもとめて、自らの意識を手さぐりした。確実に体の内奥に回復してきていることを望んだ。それは、飲み下せば内臓を燃えあがらせるウイスキーのような存在感を持っているはずだ。私はおちつかぬ気持ちでその感覚を手さぐりし続けたが、いつまでもむなしいままだった。

 今度こそ完成です。文章の品位を保ちつつ、わかりやすく、読みやすい、すなわち美しい日本語になったことを実感いただけましたか。こんなことをやって何のためになるの、と疑問に感じた方もいらっしゃるでしょう。もちろん、このブログは小説の書き換えを目的としているわけではありません。
この「はじめに」でお伝えしたかったことは、「美しい日本語とは何か」とともに、文章は推敲によってこんなに変化するのだという事実です。加えて、次章以降解説する、美しい日本語を書くためのさまざまなテクニックを、ぼんやりとでもイメージしていただけたなら幸いです。

「はじめに」のまとめ
1.   美しい日本語とは「わかりやすい」「読みやすい」「無駄がない」文章を指す。

2.   美しい日本語では、個性、芸術性、おもしろさ、などは必要としない。

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