2020年10月25日日曜日

第2章 文を美しくするテクニック(8)

 漢字、ひらがな、カタカナの使い分け

英語にはアルファベット、中国語には漢字しかないのに、日本語には漢字、ひらがな、カタカナという三種類の文字があります。これは日本語が難しいと言われる一因ですが、一方で多様な表現方法を可能にしています。同じ言葉を表記するのに、三つのやり方があるのですから。

漢字、ひらがな、カタカナの使い分けの原則を挙げておきます。

体言(名詞、代名詞)は漢字で表記します。

用言(動詞、形容詞、形容動詞)は語幹(活用によって変化しない部分:る)は漢字、
  語尾(活用によって変化する部分:走)はひらがなで表記します。

助詞(てにをは)は、ひらがな表記となります。

加えて、外来語、擬音語、擬声語はカタカナ表記です。

まず、漢字とひらがなの使い分けについて考えてみましょう。読む人に、漢字は固いイメージ、ひらがなは柔らかいイメージを抱かせます。そもそも中世の日本では、ひらがなは私的な場面で、あるいは女性が用いるもので、公式の文書は全て漢字で書かれていました。また、漢字が数千字もあるのに対して、ひらがなは限られた数しかありませんから、子供たちの国語の勉強の入り口もひらがなです。こうした背景から、ひらがなは女性が持つ優しさ・柔らかさ、子供が持つあどけなさ・おおらかさを感じさせるのです。

ぶんちゅうでかんじとひらがなをつかいわけることはむずかしいが、まよったらできるかぎりかんじでかいてから、よみなおしていわかんのあるところをひらがなにかえればよい。 

極端な例文からスタートしました。ひらがなだけで書かれた文が、いかに読みづらいかがわかります。柔らかさ、おおらかさどころではありません。現代の日本語は、漢字とひらがなを組み合わせて表現することを前提としているのですから当然のことといえます。では、逆に同じ文を漢字を目一杯使って書き直すとどうなるか。 

文中で漢字と平仮名を使い分ける事は難しいが、迷ったら出来る限り漢字で書いてから、読み直して違和感の在る所を平仮名に変えれば良い。 

こちらも、オールひらがなよりはましですが、読みやすいとは言えない文です。漢字が多すぎます。どこをひらがなに変えるべきでしょうか。答えは意外なところにあります。最近の私たちは、文章のほとんどをパソコンを使って作成しています。漢字は書くものではなく、変換するものになりました。難解な漢字も自由自在に使えます。変換ソフトの言うなりになっていると、自然に漢字が多くなってしまうのです。もう、答えはおわかりでしょう。自分が手書きをしたつもりになって、その際に漢字を使うかどうか考えればよいのです。漢字を手書きする機会が減っているので、画数の多い字は正確に書けないかもしれません。それは気にせず、概ね書ける漢字なら使ってよいということにしましょう。私が例文を手書きしたならば、傍線部はひらがなを使います。 

文中で漢字と平仮名を使い分けるは難しいが、迷ったら出来る限り漢字で書いてから、読み直して違和感のる所を平仮名に変えれば良い。 

「平仮名」は、漢字、カタカナと対照している文脈なのでひらがなで表記したいところです。

「事」はこのブログ全体で、原則としてひらがな表記に統一しています。「文章中が箇条書きばかりにならないようにすることです」というような「こと」を漢字にすると、文章が固くなるのでお勧めしません。「物」と「事」を対照する場面があれば、漢字にします。

「出来る」も同様です。漢字を使い始めたら、「出来上がり」「出来次第」「上出来」「出来過ぎ」など、「出来」は様々な言葉と組み合わされますので、その全てを漢字にする必要がでてきます。

「在る(有る)」は、文章中に「~である」という形でものすごい回数出現します。これを全て漢字にしようという方はいないでしょう。

なお、例文には出てきませんでしたが、「みる」「いう」については、場面によって漢字とひらがなを使い分けるのが良いと考えています。

l  テレビのニュース番組を見る。

l  医師が患者の症状を診る。

l  歌舞伎や芝居を観る。

l  高齢の母のめんどうを看る。

このように、「みる」にはいろいろな漢字があてはまります。場面と意味から使用すべき漢字は一意に定まり、漢字で表記するのが一般的です。ところが、

l  遠慮しないで、やってみようよ。 → 試してみることを表す。

l  教師としてみれば、教え子を守りたい。 → 立場を表す。

l  犯人は国外に逃亡したものとみられる。 → 想定されることを表す。

こうした「みる」の用法では、どの漢字をあてはめてもしっくりこないのです。ひらがなを使うのがよいでしょう。それでは、「いう」はどうなるか。

l  私は大声で文句を言った。

l  彼はチームの要と言われている。

この二つの例のように、口から言葉を発することを表す「いう」を漢字の「言う」で表記することには何の違和感もありません。では、次の「いう」はどうでしょう。

l  デザイナーという職業にあこがれている。

l  そういえば、あの人は今頃どこにいるだろう。

l  日が昇ったとはいえ、あたりはまだ肌寒い。

l  彼にはこれといった欠点が見当たらない。

これらは口から言葉を発している「いう」ではありません。漢字で「言う」と書くには抵抗があります。やはりひらがなで表記するのがよいでしょう。

漢字とひらがなの使い分けには、原則はありますが正解が一つに決まるわけではありません。自分が手書きをする際に使うであろう漢字に絞り込むことをお勧めしましたが、これは「自然であろう」という意味です。読み返して違和感がないことが大事です。自信がなければ、誰かに読んでもらうのがよいでしょう。繰り返しているうちに、自分の漢字使用パターンが身についてきます。一般的な文書で使用する漢字は思いのほか限られているので、このパターンさえ習得できれば迷うことはなくなります。

さて、あえて原則には従わず(不自然な場面で)、ひらがなを使用するケースがあります。何らかの効果を期待してのことです。

① 語勢を弱める。

A.私は世界で一番、幸せになりたい。→わたしは世界でいちばん、しあわせになりたい。

B.障害があっても、勇気があれば乗り越えられる。→しょうがいがあっても、勇気があればのりこえられる。

前述しましたが、ひらがなを使うと柔らかな雰囲気を作り出すことができます。A.の例では、「私」「一番」「幸せ」をひらがなに変更することにより、願望の度合いが弱められ、「ああ、無理かもしれないけど、そうなったらいいなあ」くらいになりました。B.の例では、「障害」という言葉が持つ、固い、暗いイメージを払拭することに役立っています。

② ていねいな言い回しのなかで。

願い → おねがい

知らせ → おしらせ

詫び → おわび

通常は漢字で表記する言葉を、「お」や「ご」をつけてていねいな言い回しにする際、ひらがなで表記されることがあります。こちらも、ひらがなにすると柔らかいイメージが生じるためです。

次に、外来語、擬音語、擬声語以外で(原則に従わずに)カタカナを使う場面とその効果について考えてみます。

① 文中の一部の言葉を強調する。

l  先日の報道は、テレビ局のヤラセだったらしい。

l  あの店のうどんは、麺はうまいが汁がマズい。

l  年寄りだからと、ナメたらたいへんな目にあうよ。

それぞれ、カタカナにした言葉を強調しています。名詞の場合は言葉全体をカタカナにしますが、動詞や形容詞の場合は語幹の部分のみをカタカナにすることが多いようです。

② 機械的な雰囲気を作る。

ボクハ、トオイホシカラヤッテキマシタ。

 文中の一部の言葉だけでなく、文全体をカタカナにすると、まるでロボットが話しているような不思議な雰囲気を醸し出すことができます。

③ 特定の名詞。

略語・略称: トクホ(特定保健用食品)、イマイチ(いまひとつ)

動植物: サクラ(桜)、ジャガイモ(じゃが芋)、マグロ(鮪)、キリン(麒麟)

外来語、擬音語、擬声語ではないけれど、慣用的にカタカナ表記が用いられる言葉があります。略語・略称、動植物に多くみられますが、それだけではありません。地名でいえば、アキバ(秋葉原)、ムサコ(武蔵小杉)は略称でカタカナ表記も納得ですが、ナゴヤは略称でないのになぜカタカナ表記することが多いのか、これは謎です。

最後に、漢字、ひらがな、カタカナの三つのなかからふさわしい表記を選ぶ練習問題です。次の三つの文の○○に、タバコ、たばこ、煙草のいずれを入れるべきか考えてみてください。

l  書斎で○○をくゆらせる父の姿が忘れられない。

l  その頃は、○○代にも事欠くありさまだった。

l  ○○屋の店番をする猫が人気を集めた。

私だったらこうします。

l  書斎で煙草をくゆらせる父の姿が忘れられない。
 → 遠い過去を振り返っているイメージを演出したいので漢字。

l  その頃は、タバコ代にも事欠くありさまだった。
 → 「タバコ代」すらないということを強調するためにカタカナ。

l  たばこ屋の店番をする猫が人気を集めた。
 
→ 猫の話なのでほのぼのとした雰囲気が似合う。そこで、ひらがな。

まさに日本語ならではの繊細さといえるでしょう。

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