現在形と過去形
中学校・高等学校で英語を学習した際、現在形、過去形、現在完了形、過去完了形など、時制の多さに面食らった方が多いだろうと思います。面食らって当然です。使い慣れてきた日本語には、現在形と過去形しかないのですから。
現在形: 彼は東京に住んでいます。 彼は東京に住んでいますか。
過去形: 彼は東京に住んでいました。 彼は東京に住んでいましたか。
今年も桜の季節がやってきた。私は満開の桜よりも散り際の桜が好きだ。風が吹くたびに舞う花びらが一番美しい。桜の木の下に座って、花びらの浮いたコップ酒をちびりちびりとやる。日本人に生まれて良かった。などと柄にもなく感傷にひたる私がそこにいた。
この例文には、現在形と過去形が入り混じっています。花見に行った際のことですから、過去のできごとに関する記述です。でも、「好きだ」「美しい」「ちびりちびりとやる」の文末は現在形になっています。特に違和感はありませんよね。これが日本語の特徴です。現在のことを書くなら現在形、過去のことを書くなら過去形が原則ですが、あまりこだわる必要はないのです。
一方で、明らかな過去のできごとを書くのに、意識的に現在形を使用する場合があります。
A.前走者の木村がトラックのコーナーを過ぎて直線に入る。二位をきわどく競っている。
木村の息づかいが聞こえてくるようだ。助走を開始。バトンが迫る。私の手に木村の手
のぬくもりが伝わった。
B.前走者の木村がトラックのコーナーを過ぎて直線に入った。二位をきわどく競っていた。木村の息づかいが聞こえてくるようだった。助走を開始。バトンが迫った。私の手に木村の手のぬくもりが伝わった。
C.前走者の木村がトラックのコーナーを過ぎて直線に入る。二位をきわどく競っている。木村の息づかいが聞こえてくるようだ。助走を開始。バトンが迫る。私の手に木村の手のぬくもりが伝わる。
Aの例文では、現在形の文が続いて、過去形で締めくくっています。現在形を使うことによって、過去のできごとであっても、今、目の前で起きているかのような「臨場感」をかもしだすことができます。原則どおり全てを過去形で書いたBの例文と比較すると、その違いは明らかです。またAでは、最後の文、バトンを受け取った瞬間を過去形にすることで、時間がリセットされました。ここから先は、走者としての自分について書くか、厳しい練習の回想を書くか、どんな場面への転換も可能です。このように、過去形は文章の区切りをつけるという役目を持っています。最後の文を現在形にしたCの例文では、このまま場面を変えずに記述を続けざるを得ない雰囲気になっています。
A.季節の変わり目になると、ふと、一人旅に出たくなるのだ。花粉が大量に飛んでいるというニュースに春の訪れを感じ、私の旅ごころがうずき始める。今回はどこを目指そうか。さっそく本棚からガイドブックを探り出してページを繰る。うん、ここだな。一時間後には、リュックに荷物を詰め込んだ私は勇んで家を後にする。目指すは房総半島。花畑のなかで、東京よりも一足早い本格的な春を感じることができるに違いない。
B.季節の変わり目になると、ふと、一人旅に出たくなるのだ。花粉が大量に飛んでいるというニュースに春の訪れを感じ、私の旅ごころがうずき始めた。今回はどこを目指そうか。さっそく本棚からガイドブックを探り出してページを繰った。うん、ここだな。一時間後には、リュックに荷物を詰め込んだ私は勇んで家を後にした。目指すは房総半島。花畑のなかで、東京よりも一足早い本格的な春を感じることができるに違いなかった。
さてこの事例、Aは現在形、Bは過去形で書かれていますが、読み手に与える印象の違いはたいへん微妙です。じっくり読み込む必要があります。どうでしょう、AはBに比べて、あなたが「私」と一緒に行動しているような気分にさせますよね。ガイドブックを繰って、そわそわと身支度をして出発する、房総への旅への期待感が共有できますね。一方、Bの方は、少し離れたところから、客観的に「私」の行動を見ているような印象を受けると思います。
さきほどの「バトンリレー」の例文の、「目の前で起きている」臨場感に加えて、この「一人旅」の例文では、現在形を用いることによって「自ら場面に入り込む」という臨場感を味わうことができました。
0 件のコメント:
コメントを投稿