2020年11月20日金曜日

第2章 文を美しくするテクニック(11)

書き言葉と話し言葉

手紙やフォーマルな文書を作成する際には、さまざまな決まりごとがあります。手紙でいえば、「拝啓」や「前略」で始めて「敬具」で終わる。相手の名前、自分の名前、日付を書く場所なども決まっています。学生時代は誰もが自由な書式で文書を作っていますから、就職していきなり出会う、「下記のとおりです」を枕ことばに「記」のあとに本文を記載し、「以上」で締めるという、フォーマルな文書の書き方に面食らうのは当然のことです。これらは社会常識として身に着けておくにこしたことはありませんが、実際に文書を作成する際には、会社としての標準フォーマットを使用したり、過去に誰かが作ったものをまねればよいですし、最低限のひな形は文書作成ソフトでも提供されています。要するに、重要度は低いということです。

大事なのは、形式ではなく内容、すなわち本文の書き方です。ここでは、「書き言葉」と「話し言葉」という視点から、文書の種類と目的・あて先によって、どのような文章にすべきかを考えていきます。なお、話し言葉、書き言葉に明確な定義はないので、ここでは、主に会話で使用される表現を「話し言葉」、文書上で使用される表現を「書き言葉」と呼ぶことにします。 

① こないだのうちの商品の不具合の件だけど、工場でいろんな調査をしたら、原因は客の使い方にあるってさ。

② 先日の弊社の商品の不具合の件ですが、工場で様々な調査を行ったところ、原因はお客様の使用方法にあることが判明しました。 

最初に「書き言葉」と「話し言葉」の違いを理解するために、極端な事例を見ていただきます。

①②は同じ内容について記述した文ですが、似ても似つかぬものになっています。①の「こないだ」「うちの」「だけど」「いろんな」「したら」「あるってさ」は話し言葉です。これが、社内の同僚間での会話であれば良いのですが、まかり間違ってお客様に聞かれたりしたらたいへんなことになります。ビジネス上の文書や電子メールでは、話し言葉は厳禁と心得てください。

だったら、美しい日本語を書くには「話し言葉」を使わなければ良いのでしょ。いやいや、そう短絡的に結論づけないでください。ビジネス以外の場面で、「話し言葉」を効果的に使用するケースがあるからです。次の事例に進みましょう。 

A.そうしたら、やっと宿題を終わらせてテレビに向かったばかりなのに、「ちゃんと勉強しなきゃだめでしょ」と、母は言ったのだ。

B.すると、ようやく宿題を終わらせてテレビに向かったばかりだというのに、きちんと勉強しなければだめだと、母は言ったのである。 

Aは話し言葉で書かれています。「やっと」「なのに」「ちゃんと」「しなきゃ」「でしょ」など、文書を書くときには使わない話し言葉だらけです。この文を読んで、皆さんは具体的にどのように感じますか。文を書いたのは小学生か、もしくは小学生時代を回想している大人でしょう。せっかく宿題を終わらせて一息つこうとしているのに、その状況を知らない母親は、決まり文句の「勉強しなさい」。なんて理不尽な、という子供の不満が伝わってきます。話し言葉で書かれていることにより、親近感をもって場景をイメージすることができます。これが話し言葉を使う効果なのです。書き言葉で書かれているBの方はどうでしょう。大人が、冷静かつ客観的に書いたイメージです。感情は伝わってきません。

そして、書き言葉と話し言葉のどちらが適切かは、この文がどんな文脈のなかで現れたかによって決まってくるのです。 

C.親は、わが子の行動について先入観を持っているものだ。私の母も例外ではない。私は小学生のころ大のテレビ好きで、しばしば勉強が後回しになっていた。ある日、めずらしく私は先に勉強を済ませてから、毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた。

D.親は、わが子の行動について先入観を持っているものらしい。私の母もそのとおり。小学生のころの私はテレビが大好きで、ついつい勉強は後回し。ある日のことだ。毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた私は、めずらしく先に勉強を済ませていた。 

さて、CとDは書いてある内容は全く同じです。それぞれ、ABのどちらと組み合わせるのが好ましいでしょう。Cがごく一般的な書き方の文であるのに対して、Dは体言止めや倒置法などを使って書かれています。いかがでしょう。Dの方が読み手に軽い(くだけた)印象を与えますね。このような文には、話し言葉が合うのです。実際に組み合わせて確認します。 

BC.親は、わが子の行動について先入観を持っているものだ。私の母も例外ではない。私は小学生のころ大のテレビ好きで、しばしば勉強が後回しになっていた。ある日、めずらしく私は先に勉強を済ませてから、毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた。すると、ようやく宿題を終わらせてテレビに向かったばかりだというのに、きちんと勉強しなければだめだと、母は言ったのである。

AD.親は、わが子の行動について先入観を持っているものらしい。私の母もそのとおり。小学生のころの私はテレビが大好きで、ついつい勉強は後回し。ある日のことだ。毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた私は、めずらしく先に勉強を済ませていた。そうしたら、やっと宿題を終わらせてテレビに向かったばかりなのに、「ちゃんと勉強しなきゃだめでしょ」と、母は言ったのだ。 

同じ内容を書くにも、さまざまな書き方があり、それによって読み手に与える印象が変わります。「話し言葉」の使用が、バリエーションの一つになるのです。BCとADの違いをよく味わっていただきたいと思います。

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