2020年11月29日日曜日

第3章 美しく文章を構成するノウハウ(1)

 段落の区切り方

第3章で共通的に使用する事例から始めましょう。1200字弱の文章です。手書きの場合は原稿用紙3枚分、パソコンで作成する場合はA4用紙1枚という、皆さんが出会う機会が最も多い長さです。この先、何度も引用しますのでじっくり読んでおいてください。個々の文は、美しい日本語になっているという前提で進めていきます。

 

少子化により、日本の人口が減少している。数十年後には、現在の半分になってしまうという予測もある。単純に考えれば、二人の親から二人の子供が生まれて、ようやく人口が保たれることになる。ご存知のとおり、子供の数の平均は、二人を大幅に下回っている状況なのだ。少子化にはさまざまな原因が想定される。結婚しない、結婚しても子供を産まないという生き方が定着したこと。女性の社会進出により晩婚化が進んだこと。子供の教育にかかる費用が増えたこと。などなどである。

このまま人口が減少すると、さまざまな負の影響が出てくる。多くの企業は、人口減少で縮小する国内市場を相手にしていては、成長することも利益を上げることも難しくなり、これまで以上に海外市場へ目を向けざるを得ない。一方で労働力が不足し、外国からの移民を受け入れないと、あらゆる産業を支え切れなくなるだろう。さらに、社会インフラを維持できない自治体が出てくる。道路、電気、水道などの保守コストに見合うだけの料金収入や税収が得られなくなるからだ。過疎地域から街の中心部への移住を推進する必要があるだろう。社会保障制度が維持できるかどうかも心配だ。少子化の影響で、人口に占める高齢者の割合が増加している。国の借金は世界トップの水準にあり、将来の年金の減額や支給開始年齢の引き上げ、医療保険・介護保険の自己負担の増額などが避けられない。

こうした由々しき事態にもかかわらず、国会や政府の動きはにぶい。少子化対策として保育園の増設など、子育て世代支援の政策は打ち出されているが、効果が出るにしても時間がかかる。年金や医療・介護保険の見直しは遅々として進んでいない。なぜなら、こうした政策は選挙の票に結びつかない、どころか、選挙の票を減らしかねないからである。選挙のたびに報道される、世代別の投票率を思い出していただきたい。高齢層ほど高く、若年層ほど低い。すなわち、高齢者に不人気な政策は、どの政党にとっても選挙対策上とりにくいと考えられるのだ。

政治家も、国民も、将来のことに目を向けようとしない現状のままでは、日本は沈没しかねない。これを何とかするには、選挙制度の改革が必要である。選挙制度については、地域による一票の格差にばかり議論が集中しているが、世代間の投票率の差の方がもっと大きな問題である。若者の投票率を上げるために、ネットでの投票を可能にするのが一つの対策になるだろう。世代ごとの投票率によって、一票の重みづけを変える、例えば20歳代の投票率が60歳代の半分だったら、票の重みを2倍にするといった仕組みも考えられる。「選挙に行ってもどうせ何も変わらないから」という若年層の諦めムードを払拭する、将来を担う若者の意見を反映できる、そんな抜本的な改革が求められている。

 

新聞の社説のような文章ですが、これは私が事例として作成したものです。内容についてのご意見もあるでしょうが、そこは目をつぶって、あくまでも文章構成を確認していくための事例としてお読みください。

さて、本題に入りましょう。段落とは文章の区切りです。ご存知のとおり、段落が終わったら改行し、段落の最初は字下げを行うのがルールです。では、どのように文章の区切りをつけていけばよいのでしょう。区切りの候補となるのは次のような場合です。事例は段落分けをしていませんので、どこで区切れば良いか、練習問題のつもりで考えてみてください。

① 書いてある内容が大きく変化する場合

日本は地震国である。全国のあちらこちらで、毎日のように地震が発生している。多くの人は地震をひとくくりにしてしまうが、大きく二つのタイブに分けることができる。プレート境界型の地震と直下型の地震である。日本は火山国でもある。全国のいたるところで温泉が湧きだしている。噴煙を上げ続ける活火山も北から南まで数多い。

一番わかりやすい例です。この文章は、地震に関する記述から始まって、途中で火山に関する記述に切り替わります。したがって、「日本は火山国でもある」の前で段落を分けます。このように内容が大きく変化したところで文章を区切るのが基本です。

② 時間や場面が変化する場合

東日本大震災があった年の夏、私はボランティアで仙台市を訪ねた。東部道路より海に近い地域では田畑が津波によって海水につかり、耕作ができない状態だった。私たちボランティアは必死で泥かきと草取りに取り組んだ。四年後の夏、私は再び仙台の土を踏んだ。がれきと泥と雑草に覆われていた荒地は、豊かな緑の大地に変わっていた。大自然に翻弄されても、再び立ち直った人々の営みがそこにはあった。

この例では、最初から最後まで東日本大震災後の仙台市の様子が描かれています。でも前半は震災があった年のことが書かれ、後半は四年後のことが書かれています。この時間(場面)が変わったところで段落を分けるのが一般的です。

③ 一つの段落が長すぎる場合

文章を読む際、私たちは意識せずに、一つの段落を一気に読み進んで、そこで一休みして内容を頭の中で整理するという作業を繰り返しています。そのため、一ページに段落もなくびっしり文字が詰まっていると読む気をなくしてしまいます。息継ぎなしでプールの端から端まで泳ぎなさいという感じです。文庫版や新書版の書籍は一ページが15~16行程度ですが、私はその半分くらいが段落の長さの上限と考えています。字数にすると、300~400字というところです。それを超える場合には、たとえ書いてある内容に変化がなくても、時間や場面が共通でも、読みやすさを考慮して段落を分けた方が良いのです。美しい日本語の条件には、「読みやすいこと」が入っていましたね。ちなみに、この段落は345字となっています。ちょうど良い長さです。

長い文章では、段落がいくつもいくつも連なります。小説ならともかくとして、同じようなパターンの段落がどこまでも続くと、読み手は飽きがきてしまいます。そのために、段落に階層を設け、読みやすくする工夫がなされます。

小段落を複数まとめて中段落とする場合、小段落の間は通常の改行と字下げにしておき、中段落の間は行間を多めにとって、文章の大きな切れ目であることを明確にする、などの方法がとられます。このブログもこのやり方です。中段落を束ねる大段落となると、見出しをつけて大段落としてのまとまりを明示するのがよいでしょう。

このブログを例にとると、文章の構造は、「章」「項目」「中段落」「小段落」の4階層になっています。一般的なビジネス書籍ですと、文章を読むスピードは、普通に読み流しているときで400字につき30秒、新書版1ページで1分弱というところです。読み手の集中力を考慮すると、5~10分で一休みできる構成が良いと考えます。そのためには、新書版10ページ以内、字数で6,000字以内を目安に、大段落(このブログでいえば項目)を設けることをお勧めします。

ここまで述べたとおり、段落は読み手の立場になって、読みやすさを向上させるために設けます。同じ趣旨で、このブログ中の「こぼれ話」や「ワンポイント・レッスン」のように、本文とは独立した囲みの文章を挿入し、読み手に一休みの時間を提供する方法もあります。特に、堅めの文章においては、意図的に柔らかい内容の文章を挿入し、読み手の疲れを癒してあげましょう。

2020年11月23日月曜日

第2章のまとめ

 第2章のまとめ

1.「です、ます」と「だ、である」

l  一つの文章のなかでは「です、ます」調か、「だ、である」調のどちらかに統一するのが原則である。

l  読み手の顔が見えている文書では「です、ます」調を使い、読み手の顔を意識する必要のない文書では「だ、である」調を使うことが多い。

l  場面転換のために、一つの文章のなかで「です、ます」調と「だ、である」調を混在させることがある。

l  箇条書きは、原則として「だ、である」調で記述する。

2.「ののの」に注意

l  助詞の「の」は一つの文のなかで三つ以上連続で現れないようにする。

l  ほとんどの「の」は、一定のルールにしたがって別の言葉に置き換えが可能である。

l  あえて「の」を多用することにより、文にリズム感を与える手法がある。

3.読点は多過ぎず少な過ぎず

l  読点には、句点と違ってどこに打つかという決まりがない。

l  読点を打つ候補として「文中の区切り」「接続詞、感嘆詞など、独立した言葉のあと」「列挙や繰り返しのあいだ」「会話のかぎ括弧の前」などがある。

4.美しい敬語の使い方

l  敬語の間違いは「敬語になり得ない言葉を敬語として使う」「敬語を使う必要のないところで敬語を使う」「敬語にはなっているが使い方が違う」の三つに大別される。

l  会話でも使える一般的な文を心がける。丁寧語は良いが、尊敬語、謙譲語は必要最低限にすること。「自然であること」が美しい敬語の前提である。

5.体言止め

l  名詞、代名詞などの「体言」で文を終えることを「体言止め」という。

l  体言止めは、「リズム感やスピード感を作り出す」「文中で区切りをつける」目的や、「箇条書き」「文章の見出し、キャッチ・フレーズ、スローガン」などで使用される。

6.倒置法

l  倒置法とは、「文中で、言葉の順番を普通の逆にする表現方法」である。

l  倒置法は、文中の一部の言葉を強調する目的や、語調と整える(文にリズム感をつける)目的で使われる。

7.箇条書き

l  文章中の文や、文中の言葉が複数(原則として三つ以上)並べられていて、その関係が並列であるか、または順序性をもっている場合は箇条書きにするとよい。

l  箇条の一つひとつがあまり長くならないようにする。箇条ごとの文が2行以上になる場合は見出しをつける。

l  箇条の数は10個以内に収める。10個を超える場合は複数のまとまりに分ける。

l  文章中が箇条書きばかりにならないようにする。

8.漢字、ひらがな、カタカナの使い分け

l  体言(名詞、代名詞)は漢字で表記する。

l  用言(動詞、形容詞、形容動詞)は語幹を漢字、語尾をひらがなで表記する。

l  助詞(てにをは)は、ひらがな表記となる。

l  外来語、擬音語、擬声語はカタカナで表記する。

l  語勢を弱める目的や、ていねいな言い回しのなかで、通常は漢字で表記する言葉をひらがなで表記する場合がある。

l  文中の一部の言葉を強調したり、機械的な雰囲気を作り出すために、カタカナ表記を用いることがある。

9.繰り返し

l  言葉の繰り返しは、「重要な言葉を伝える」「リズムを作り出す」「強い感情を表現する」などの目的で使用される。

10.現在形と過去形

l  日本語には現在形と過去形しかない。また、時制はあいまいで、一つの文章中に現在形と過去形が混在することもある。

l  過去のできごとを現在形で記述することにより、臨場感をかもしだすことができる。

11.書き言葉と話し言葉

l  主に会話で使用される表現を「話し言葉」、文書上で使用される表現を「書き言葉」と呼ぶ。

l  ビジネス上の文書や電子メールでは、話し言葉は使用しない。

l  話し言葉で書かれた文は、親近感をもって場景をイメージすることができる。

2020年11月20日金曜日

第2章 文を美しくするテクニック(11)

書き言葉と話し言葉

手紙やフォーマルな文書を作成する際には、さまざまな決まりごとがあります。手紙でいえば、「拝啓」や「前略」で始めて「敬具」で終わる。相手の名前、自分の名前、日付を書く場所なども決まっています。学生時代は誰もが自由な書式で文書を作っていますから、就職していきなり出会う、「下記のとおりです」を枕ことばに「記」のあとに本文を記載し、「以上」で締めるという、フォーマルな文書の書き方に面食らうのは当然のことです。これらは社会常識として身に着けておくにこしたことはありませんが、実際に文書を作成する際には、会社としての標準フォーマットを使用したり、過去に誰かが作ったものをまねればよいですし、最低限のひな形は文書作成ソフトでも提供されています。要するに、重要度は低いということです。

大事なのは、形式ではなく内容、すなわち本文の書き方です。ここでは、「書き言葉」と「話し言葉」という視点から、文書の種類と目的・あて先によって、どのような文章にすべきかを考えていきます。なお、話し言葉、書き言葉に明確な定義はないので、ここでは、主に会話で使用される表現を「話し言葉」、文書上で使用される表現を「書き言葉」と呼ぶことにします。 

① こないだのうちの商品の不具合の件だけど、工場でいろんな調査をしたら、原因は客の使い方にあるってさ。

② 先日の弊社の商品の不具合の件ですが、工場で様々な調査を行ったところ、原因はお客様の使用方法にあることが判明しました。 

最初に「書き言葉」と「話し言葉」の違いを理解するために、極端な事例を見ていただきます。

①②は同じ内容について記述した文ですが、似ても似つかぬものになっています。①の「こないだ」「うちの」「だけど」「いろんな」「したら」「あるってさ」は話し言葉です。これが、社内の同僚間での会話であれば良いのですが、まかり間違ってお客様に聞かれたりしたらたいへんなことになります。ビジネス上の文書や電子メールでは、話し言葉は厳禁と心得てください。

だったら、美しい日本語を書くには「話し言葉」を使わなければ良いのでしょ。いやいや、そう短絡的に結論づけないでください。ビジネス以外の場面で、「話し言葉」を効果的に使用するケースがあるからです。次の事例に進みましょう。 

A.そうしたら、やっと宿題を終わらせてテレビに向かったばかりなのに、「ちゃんと勉強しなきゃだめでしょ」と、母は言ったのだ。

B.すると、ようやく宿題を終わらせてテレビに向かったばかりだというのに、きちんと勉強しなければだめだと、母は言ったのである。 

Aは話し言葉で書かれています。「やっと」「なのに」「ちゃんと」「しなきゃ」「でしょ」など、文書を書くときには使わない話し言葉だらけです。この文を読んで、皆さんは具体的にどのように感じますか。文を書いたのは小学生か、もしくは小学生時代を回想している大人でしょう。せっかく宿題を終わらせて一息つこうとしているのに、その状況を知らない母親は、決まり文句の「勉強しなさい」。なんて理不尽な、という子供の不満が伝わってきます。話し言葉で書かれていることにより、親近感をもって場景をイメージすることができます。これが話し言葉を使う効果なのです。書き言葉で書かれているBの方はどうでしょう。大人が、冷静かつ客観的に書いたイメージです。感情は伝わってきません。

そして、書き言葉と話し言葉のどちらが適切かは、この文がどんな文脈のなかで現れたかによって決まってくるのです。 

C.親は、わが子の行動について先入観を持っているものだ。私の母も例外ではない。私は小学生のころ大のテレビ好きで、しばしば勉強が後回しになっていた。ある日、めずらしく私は先に勉強を済ませてから、毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた。

D.親は、わが子の行動について先入観を持っているものらしい。私の母もそのとおり。小学生のころの私はテレビが大好きで、ついつい勉強は後回し。ある日のことだ。毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた私は、めずらしく先に勉強を済ませていた。 

さて、CとDは書いてある内容は全く同じです。それぞれ、ABのどちらと組み合わせるのが好ましいでしょう。Cがごく一般的な書き方の文であるのに対して、Dは体言止めや倒置法などを使って書かれています。いかがでしょう。Dの方が読み手に軽い(くだけた)印象を与えますね。このような文には、話し言葉が合うのです。実際に組み合わせて確認します。 

BC.親は、わが子の行動について先入観を持っているものだ。私の母も例外ではない。私は小学生のころ大のテレビ好きで、しばしば勉強が後回しになっていた。ある日、めずらしく私は先に勉強を済ませてから、毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた。すると、ようやく宿題を終わらせてテレビに向かったばかりだというのに、きちんと勉強しなければだめだと、母は言ったのである。

AD.親は、わが子の行動について先入観を持っているものらしい。私の母もそのとおり。小学生のころの私はテレビが大好きで、ついつい勉強は後回し。ある日のことだ。毎週楽しみにしているアニメ番組を見始めた私は、めずらしく先に勉強を済ませていた。そうしたら、やっと宿題を終わらせてテレビに向かったばかりなのに、「ちゃんと勉強しなきゃだめでしょ」と、母は言ったのだ。 

同じ内容を書くにも、さまざまな書き方があり、それによって読み手に与える印象が変わります。「話し言葉」の使用が、バリエーションの一つになるのです。BCとADの違いをよく味わっていただきたいと思います。

2020年11月14日土曜日

第2章 文を美しくするテクニック(10)

 現在形と過去形

中学校・高等学校で英語を学習した際、現在形、過去形、現在完了形、過去完了形など、時制の多さに面食らった方が多いだろうと思います。面食らって当然です。使い慣れてきた日本語には、現在形と過去形しかないのですから。 

現在形: 彼は東京に住んでいます。 彼は東京に住んでいますか。

過去形: 彼は東京に住んでいました。 彼は東京に住んでいましたか。

  英語のように、動詞に過去形や過去完了形があるわけでもありません。疑問文にするのも「か」をつけるだけ。たいへんシンプルな時制といえます。一方で、日本語は時制があいまいな言語ということもできます。

 今年も桜の季節がやってきた。私は満開の桜よりも散り際の桜が好きだ。風が吹くたびに舞う花びらが一番美しい。桜の木の下に座って、花びらの浮いたコップ酒をちびりちびりとやる。日本人に生まれて良かった。などと柄にもなく感傷にひたる私がそこにいた。

 この例文には、現在形と過去形が入り混じっています。花見に行った際のことですから、過去のできごとに関する記述です。でも、「好きだ」「美しい」「ちびりちびりとやる」の文末は現在形になっています。特に違和感はありませんよね。これが日本語の特徴です。現在のことを書くなら現在形、過去のことを書くなら過去形が原則ですが、あまりこだわる必要はないのです。

 一方で、明らかな過去のできごとを書くのに、意識的に現在形を使用する場合があります。

A.前走者の木村がトラックのコーナーを過ぎて直線に入る。二位をきわどく競っている。
  木村の息づかいが聞こえてくるようだ。助走を開始。バトンが迫る。私の手に木村の手
  のぬくもりが伝わった。

B.前走者の木村がトラックのコーナーを過ぎて直線に入った。二位をきわどく競っていた。木村の息づかいが聞こえてくるようだった。助走を開始。バトンが迫った。私の手に木村の手のぬくもりが伝わった。

C.前走者の木村がトラックのコーナーを過ぎて直線に入る。二位をきわどく競っている。木村の息づかいが聞こえてくるようだ。助走を開始。バトンが迫る。私の手に木村の手のぬくもりが伝わる。

 Aの例文では、現在形の文が続いて、過去形で締めくくっています。現在形を使うことによって、過去のできごとであっても、今、目の前で起きているかのような「臨場感」をかもしだすことができます。原則どおり全てを過去形で書いたBの例文と比較すると、その違いは明らかです。またAでは、最後の文、バトンを受け取った瞬間を過去形にすることで、時間がリセットされました。ここから先は、走者としての自分について書くか、厳しい練習の回想を書くか、どんな場面への転換も可能です。このように、過去形は文章の区切りをつけるという役目を持っています。最後の文を現在形にしたCの例文では、このまま場面を変えずに記述を続けざるを得ない雰囲気になっています。 

A.季節の変わり目になると、ふと、一人旅に出たくなるのだ。花粉が大量に飛んでいるというニュースに春の訪れを感じ、私の旅ごころがうずき始める。今回はどこを目指そうか。さっそく本棚からガイドブックを探り出してページを繰る。うん、ここだな。一時間後には、リュックに荷物を詰め込んだ私は勇んで家を後にする。目指すは房総半島。花畑のなかで、東京よりも一足早い本格的な春を感じることができるに違いない。

B.季節の変わり目になると、ふと、一人旅に出たくなるのだ。花粉が大量に飛んでいるというニュースに春の訪れを感じ、私の旅ごころがうずき始めた。今回はどこを目指そうか。さっそく本棚からガイドブックを探り出してページを繰った。うん、ここだな。一時間後には、リュックに荷物を詰め込んだ私は勇んで家を後にした。目指すは房総半島。花畑のなかで、東京よりも一足早い本格的な春を感じることができるに違いなかった。

さてこの事例、Aは現在形、Bは過去形で書かれていますが、読み手に与える印象の違いはたいへん微妙です。じっくり読み込む必要があります。どうでしょう、AはBに比べて、あなたが「私」と一緒に行動しているような気分にさせますよね。ガイドブックを繰って、そわそわと身支度をして出発する、房総への旅への期待感が共有できますね。一方、Bの方は、少し離れたところから、客観的に「私」の行動を見ているような印象を受けると思います。

さきほどの「バトンリレー」の例文の、「目の前で起きている」臨場感に加えて、この「一人旅」の例文では、現在形を用いることによって「自ら場面に入り込む」という臨場感を味わうことができました。

2020年10月31日土曜日

こぼれ話

 △△議会議員候補、○○党推薦の山田太郎でございます。山田太郎が皆様に最後のお願いにうかがいました。山田太郎をよろしくお願いいたします。山田太郎にご投票をお願いいたします。

投票日が近付くと、選挙カーからの候補者の名前の連呼が始まります。本項目で取り上げた「繰り返し」と、選挙運動で行われる「連呼」は似て非なるものです。繰り返しが、文の美しさを犠牲にしても、あえて特定の効果を狙って行う文章作成の技法であるのに対して、「連呼」はそもそも美しさも効果も関係なく、候補者の名前を記憶してほしいという、ただ一点を目的にしているからです。

目的が明らかですから「連呼」にも効率の良いやり方がありそうです。選挙カーからの声を、真剣に耳をすませて聞いている人はいないでしょうから、余分な言葉を省いて、ほんとうに伝えたい、覚えてもらいたい言葉を連呼するべきでしょう。

例文では、候補者中に山田姓が一人であれば、名前の太郎まで覚えてもらう必要はありません。投票所に行けば候補者の一覧が掲示されていますので、フルネームはそこで確認すればよいのです。難しい姓の場合は、なおさら有権者に記憶してもらう範囲を絞り込んで、確実性を高める必要があります。どの政党の推薦を受けているかが選挙結果に大きな影響を与えると予想されるなら、政党名と一緒に記憶してもらわねばなりません。複数の議会選挙や首長選挙が同時に行われる場合は、どの選挙の候補者かという情報も必要です。同時選挙の「県議会議員選挙」に立候補し、民民党推薦であることを強調したい山田太郎さんとして、連呼の原稿を再構成してみましょう。

 山田、山田、県議会選候補の山田でございます。山田、山田、民民党推薦の山田でございます。山田、山田、山田太郎をよろしくお願いいたします。

最初の例文よりも短い文章のなかで、名前の連呼を4回から9回に増やすことができました。県議会選挙に立候補していること、民民党推薦であることも、より明確にできたと思います。各文の前半部の作りを統一することにより、リズム感も出てきて、全体として聞きやすくなっています。

結果として、「繰り返し」とは似て非なる「連呼」においても、「重要な言葉の繰り返し」「リズム感を作る」といった技を生かせることがわかりました。ぜひ、選挙運動のなかで活用していただきたいものです。

第2章 文を美しくするテクニック(9)

 繰り返し

あたりまえですが、繰り返しは冗長な表現であり、美しい日本語のなかでは原則として排除すべきものです。(「わかりやすく」「読みやすく」「無駄がない」のなかの最後の「無駄がない」に反するからです)しかし、文章上の効果を狙って、あえて原則に反して繰り返しを使用する場合があります。

① 重要な言葉を繰り返す。

 空気が乾燥する冬場は、一にも二にも、火の用心、火の用心。

 感染予防には、手洗いが大切です。外から戻ったら、手洗いが大切です。

例文では、「火の用心」と「手洗い」を繰り返し使用しています。「火の用心」の方は、文中での単純な言葉の繰り返しですが、「手洗い」の方は、二つの文で、文の後半部を繰り返すという使い方になっています。このように、繰り返しにはさまざまなバリエーションがあるのです。「火の用心」の例文で、「冬」という季節も強調しておきたいということであれば、そこにも繰り返しを使います。

 空気が乾燥する冬場。冬場は、一にも二にも、火の用心、火の用心。

② 繰り返しでリズムを作る。

 真っ赤な夕日、雲間の夕日、西の空を染めながら沈む夕日。

 走る。走る。新幹線は走る。鉄橋を渡り、トンネルをくぐり、新幹線は走る。

 前を行くランナーを視界にとらえた。ゴールまでに追いついてみせる。
残りニキロを過ぎた。ゴールが近づいている。
競技場に入った。ゴールはもうすぐだ。
最後の直線。振り返る。ゴールだ。ゴールだ。

リズム感を演出するために、しばしば繰り返しが使用されます。名詞、動詞、形容詞など、さまざまな言葉が対象になります。「夕日」の例では、全く同じ言葉を単純に繰り返すのではなく、夕日を修飾する言葉を少しずつ変化させています。「新幹線」の例では、複数の文のなかに「走る」を埋め込んでいます。「マラソン」の例は応用編で、ゴールという言葉が繰り返し出てきますが、それに付随する言葉も場面も都度変化しています。

また、リズムには、一定のリズム、だんだんに言葉のサイクルを長くしていくリズム、逆にサイクルを短くしていくリズムがあります。「夕日」と「新幹線」はサイクルが長くなるリズム、「マラソン」はサイクルが短くなるリズムです。

③ 強い感情を表現する。

 なぜだ。何故だ。何故なんだ。どうして私のことを理解してくれないんだ。

感情を表現する場合は、繰り返しの回数が増えるほど強調されるといえるでしょう。でも、あまりに回数が多すぎると嫌味になってしまいます。この例のように三回くらいが限度でしょうか。

 渡航先では現地での情報収集に努め、少しでも危険を感じたら、安全第一で行動してください。

 それでは練習問題です。渡航先で最近テロ事件が発生しており、出張者に対してとにかく安全第一で行動し、リスクを避けるようアドバイスするための文です。繰り返しを使って、安全第一で行動することの重要性を伝えてください。 

 渡航先では安全第一で行動してください。現地での情報収集に努め、安全第一で行動してください。少しでも危険を感じたら、安全第一で行動してください。

 これは、三つの文で文の後半部を繰り返すという、さきほどの「手洗い」の例文と同じ用法になっています。「無駄がない」という点では、もとの文の方が美しい日本語といえるかもしれません。でも、安全第一の重要性を伝えるには、しつこい繰り返しのあった方が確実ですね。読み手は、この渡航先はよほど危険なところに違いないと感じることでしょう。

2020年10月25日日曜日

第2章 文を美しくするテクニック(8)

 漢字、ひらがな、カタカナの使い分け

英語にはアルファベット、中国語には漢字しかないのに、日本語には漢字、ひらがな、カタカナという三種類の文字があります。これは日本語が難しいと言われる一因ですが、一方で多様な表現方法を可能にしています。同じ言葉を表記するのに、三つのやり方があるのですから。

漢字、ひらがな、カタカナの使い分けの原則を挙げておきます。

体言(名詞、代名詞)は漢字で表記します。

用言(動詞、形容詞、形容動詞)は語幹(活用によって変化しない部分:走る)は漢字、
  語尾(活用によって変化する部分:走る)はひらがなで表記します。

助詞(てにをは)は、ひらがな表記となります。

加えて、外来語、擬音語、擬声語はカタカナ表記です。

まず、漢字とひらがなの使い分けについて考えてみましょう。読む人に、漢字は固いイメージ、ひらがなは柔らかいイメージを抱かせます。そもそも中世の日本では、ひらがなは私的な場面で、あるいは女性が用いるもので、公式の文書は全て漢字で書かれていました。また、漢字が数千字もあるのに対して、ひらがなは限られた数しかありませんから、子供たちの国語の勉強の入り口もひらがなです。こうした背景から、ひらがなは女性が持つ優しさ・柔らかさ、子供が持つあどけなさ・おおらかさを感じさせるのです。

ぶんちゅうでかんじとひらがなをつかいわけることはむずかしいが、まよったらできるかぎりかんじでかいてから、よみなおしていわかんのあるところをひらがなにかえればよい。 

極端な例文からスタートしました。ひらがなだけで書かれた文が、いかに読みづらいかがわかります。柔らかさ、おおらかさどころではありません。現代の日本語は、漢字とひらがなを組み合わせて表現することを前提としているのですから当然のことといえます。では、逆に同じ文を漢字を目一杯使って書き直すとどうなるか。 

文中で漢字と平仮名を使い分ける事は難しいが、迷ったら出来る限り漢字で書いてから、読み直して違和感の在る所を平仮名に変えれば良い。 

こちらも、オールひらがなよりはましですが、読みやすいとは言えない文です。漢字が多すぎます。どこをひらがなに変えるべきでしょうか。答えは意外なところにあります。最近の私たちは、文章のほとんどをパソコンを使って作成しています。漢字は書くものではなく、変換するものになりました。難解な漢字も自由自在に使えます。変換ソフトの言うなりになっていると、自然に漢字が多くなってしまうのです。もう、答えはおわかりでしょう。自分が手書きをしたつもりになって、その際に漢字を使うかどうか考えればよいのです。漢字を手書きする機会が減っているので、画数の多い字は正確に書けないかもしれません。それは気にせず、概ね書ける漢字なら使ってよいということにしましょう。私が例文を手書きしたならば、傍線部はひらがなを使います。 

文中で漢字と平仮名を使い分ける事は難しいが、迷ったら出来る限り漢字で書いてから、読み直して違和感の在る所を平仮名に変えれば良い。 

「平仮名」は、漢字、カタカナと対照している文脈なのでひらがなで表記したいところです。

「事」はこのブログ全体で、原則としてひらがな表記に統一しています。「文章中が箇条書きばかりにならないようにすることです」というような「こと」を漢字にすると、文章が固くなるのでお勧めしません。「物」と「事」を対照する場面があれば、漢字にします。

「出来る」も同様です。漢字を使い始めたら、「出来上がり」「出来次第」「上出来」「出来過ぎ」など、「出来」は様々な言葉と組み合わされますので、その全てを漢字にする必要がでてきます。

「在る(有る)」は、文章中に「~である」という形でものすごい回数出現します。これを全て漢字にしようという方はいないでしょう。

なお、例文には出てきませんでしたが、「みる」「いう」については、場面によって漢字とひらがなを使い分けるのが良いと考えています。

l  テレビのニュース番組を見る。

l  医師が患者の症状を診る。

l  歌舞伎や芝居を観る。

l  高齢の母のめんどうを看る。

このように、「みる」にはいろいろな漢字があてはまります。場面と意味から使用すべき漢字は一意に定まり、漢字で表記するのが一般的です。ところが、

l  遠慮しないで、やってみようよ。 → 試してみることを表す。

l  教師としてみれば、教え子を守りたい。 → 立場を表す。

l  犯人は国外に逃亡したものとみられる。 → 想定されることを表す。

こうした「みる」の用法では、どの漢字をあてはめてもしっくりこないのです。ひらがなを使うのがよいでしょう。それでは、「いう」はどうなるか。

l  私は大声で文句を言った。

l  彼はチームの要と言われている。

この二つの例のように、口から言葉を発することを表す「いう」を漢字の「言う」で表記することには何の違和感もありません。では、次の「いう」はどうでしょう。

l  デザイナーという職業にあこがれている。

l  そういえば、あの人は今頃どこにいるだろう。

l  日が昇ったとはいえ、あたりはまだ肌寒い。

l  彼にはこれといった欠点が見当たらない。

これらは口から言葉を発している「いう」ではありません。漢字で「言う」と書くには抵抗があります。やはりひらがなで表記するのがよいでしょう。

漢字とひらがなの使い分けには、原則はありますが正解が一つに決まるわけではありません。自分が手書きをする際に使うであろう漢字に絞り込むことをお勧めしましたが、これは「自然であろう」という意味です。読み返して違和感がないことが大事です。自信がなければ、誰かに読んでもらうのがよいでしょう。繰り返しているうちに、自分の漢字使用パターンが身についてきます。一般的な文書で使用する漢字は思いのほか限られているので、このパターンさえ習得できれば迷うことはなくなります。

さて、あえて原則には従わず(不自然な場面で)、ひらがなを使用するケースがあります。何らかの効果を期待してのことです。

① 語勢を弱める。

A.私は世界で一番、幸せになりたい。→わたしは世界でいちばん、しあわせになりたい。

B.障害があっても、勇気があれば乗り越えられる。→しょうがいがあっても、勇気があればのりこえられる。

前述しましたが、ひらがなを使うと柔らかな雰囲気を作り出すことができます。A.の例では、「私」「一番」「幸せ」をひらがなに変更することにより、願望の度合いが弱められ、「ああ、無理かもしれないけど、そうなったらいいなあ」くらいになりました。B.の例では、「障害」という言葉が持つ、固い、暗いイメージを払拭することに役立っています。

② ていねいな言い回しのなかで。

願い → おねがい

知らせ → おしらせ

詫び → おわび

通常は漢字で表記する言葉を、「お」や「ご」をつけてていねいな言い回しにする際、ひらがなで表記されることがあります。こちらも、ひらがなにすると柔らかいイメージが生じるためです。

次に、外来語、擬音語、擬声語以外で(原則に従わずに)カタカナを使う場面とその効果について考えてみます。

① 文中の一部の言葉を強調する。

l  先日の報道は、テレビ局のヤラセだったらしい。

l  あの店のうどんは、麺はうまいが汁がマズい。

l  年寄りだからと、ナメたらたいへんな目にあうよ。

それぞれ、カタカナにした言葉を強調しています。名詞の場合は言葉全体をカタカナにしますが、動詞や形容詞の場合は語幹の部分のみをカタカナにすることが多いようです。

② 機械的な雰囲気を作る。

ボクハ、トオイホシカラヤッテキマシタ。

 文中の一部の言葉だけでなく、文全体をカタカナにすると、まるでロボットが話しているような不思議な雰囲気を醸し出すことができます。

③ 特定の名詞。

略語・略称: トクホ(特定保健用食品)、イマイチ(いまひとつ)

動植物: サクラ(桜)、ジャガイモ(じゃが芋)、マグロ(鮪)、キリン(麒麟)

外来語、擬音語、擬声語ではないけれど、慣用的にカタカナ表記が用いられる言葉があります。略語・略称、動植物に多くみられますが、それだけではありません。地名でいえば、アキバ(秋葉原)、ムサコ(武蔵小杉)は略称でカタカナ表記も納得ですが、ナゴヤは略称でないのになぜカタカナ表記することが多いのか、これは謎です。

最後に、漢字、ひらがな、カタカナの三つのなかからふさわしい表記を選ぶ練習問題です。次の三つの文の○○に、タバコ、たばこ、煙草のいずれを入れるべきか考えてみてください。

l  書斎で○○をくゆらせる父の姿が忘れられない。

l  その頃は、○○代にも事欠くありさまだった。

l  ○○屋の店番をする猫が人気を集めた。

私だったらこうします。

l  書斎で煙草をくゆらせる父の姿が忘れられない。
 → 遠い過去を振り返っているイメージを演出したいので漢字。

l  その頃は、タバコ代にも事欠くありさまだった。
 → 「タバコ代」すらないということを強調するためにカタカナ。

l  たばこ屋の店番をする猫が人気を集めた。
 
→ 猫の話なのでほのぼのとした雰囲気が似合う。そこで、ひらがな。

まさに日本語ならではの繊細さといえるでしょう。